ぽんぽこぽん!ぽんすけです。
お読みいただきありがとうございます。
突然ですが、
ブロガーのみなさまは、どんな「思い」を持ってブログを始めました?
文章書くのが好きだから。
友達がやってて、面白そうだったから。
全世界に伝えたいことがあるから。
副業で稼ぎたいから。
いやいや、なんとなくだよ。
いろいろな「思い」があると思います。
さて、ネットの海のすみっこで、「自由研究」なんていうニッチなテーマで運営されている本ブログ「自由研究ラボ」。
このブログも、ちっちゃな「思い」を持って始まりました。
なぜ、本ブログ「自由研究ラボ」をはじめたか?
本日の記事は、「自由研究ラボ」が誕生するまでのいきさつをお話していきます。
それは、運営者ぽんすけの「迷い」と「決断」の物語です。
研究者として死ぬ気で働いた29歳「決断できない人生」
現在のぽんすけは、主婦の皮をかぶったたぬきですが、
20代のころはひよっこ研究者として働いていました。
小学生のころから小説家の森博嗣にあこがれて、「将来研究者になるぞ!」と意気込み、
家族や周囲の応援もあって、そのままの流れで大学院に進学。
研究者として働き始めました。
ありがたいことに、自分の研究内容に研究費をいただくこともできて、来る日も来る日も、研究に没頭していました。
もちろん、研究は楽しかったです。
しかし、当時、心の内を占めていたのは、
研究をする楽しさよりも、「期待に応えて、成果をあげなければ!」という焦りと恐怖でした。
心の底から、研究を楽しむことはできませんでした。
さらに、ぽんすけは、あるとき「自分が心から楽しめること」に気づいてしまったのです。
それは、研究所が一般公開された日のことでした。
その日は研究者たちが、研究所で実施されている研究内容を、来場するお客様に解説をしていきます。
ふらりと立ち寄った、普段は研究に興味の無いようなお客様に楽しんでもらえるように、いろいろ工夫をしてお話をします。
それが楽しいこと楽しいこと!
ぽんすけは、時間を忘れて、様々なお客様に解説をして回っていました。
このあと、科学の内容をわかりやすく楽しく伝える「サイエンス・コミュニケーター」という仕事があると知りました。
ああ、これは自分に向いているかもしれないと思います。
しかし、そこで「研究者を辞める」と決断できませんでした。
というのも、
周囲にそれとなく「サイエンス・コミュニケーターになろうかな」と言ってみると、
口をそろえて、
「研究者をやめるのはもったいない」
「そんなよくわからない職業につくべきではない」
と言われたのです。
そこで「いや、私が決断したんだから、他の人の話なんて聞いてやるもんか!」
と、なれば違ったのかもしれません。
当時のぽんすけは、周囲の顔ばかりを見ていて、
自分の人生を自分で決断できなくなっていました。
「このままでいいのかな?」という疑問を棚上げして、
流れのままに、研究者を続けていったのです。
育児と仕事の両立ができなくなった30歳「迷い続ける人生」
研究者を続けている中、運よく子供を授かりました。
「これから仕事しながら、子供を育てていくのか。頑張ってみよう!」
と漠然と思っていました。
しかし、現実は甘くありません。
ぽんすけの仕事は、子供がいたとしても、単身赴任や長期出張を前提とした勤務形態でした。
育児休業からの復職後、1歳の子どもを抱えての単身赴任を命じられ、大きな不安を抱えます。
しかし、職場の方針としては
「他の女性もやってるんだから、あなたもできるでしょ?」
でした。
「単身赴任なんて無理!」という気持ちを持ちつつも、
「仕事を辞める!」という決断をできず、迷い続けていたら、タイムリミット。
職場に流されるままに単身赴任をしました。
が、そこで、ぽんすけの体と心は限界を迎えました。
そのときには、子供を抱き上げることすら、できなくなったのです。
自分のやりたい仕事を見つける31歳「決断する恐怖におびえる」
体と心を壊して、お仕事をお休みしたぽんすけです。
半年ほど寝たきりになったあと、少しずつ人間らしい生活をできるようになりました。
しっかりお休みをすると、不思議なことに自分が「好きなこと」や「やりたいこと」を見つけられるようになりました。
そこで、思い出します。
「サイエンス・コミュニケーター」という仕事。
やっぱり、気になる。
やっぱり、やってみたい。
しかし、ここでムクムクと「世間一般論」がぽんすけの中を駆け巡ります。
研究者の方が、福利厚生いいよ?
研究者の方が、お給料も安定してるよ?子供がいるのに収入捨てるの?
研究者の方が、子育てしながら働いている女性の前例があるよ?
研究者の方が、今までのキャリアを捨てないで済むよ?
「研究者」という今までの仕事と、「サイエンス・コミュニケーター」という全く未知の仕事で迷います。
純粋な気持ちの上では、「サイエンス・コミュニケーター」をやりたい。
しかし、「研究者(今の仕事)を辞める」ということは、当時のぽんすけの中で「世間一般論」に反することでした。
これまで、自分の人生を他人の顔を見ながら決めていたツケなのでしょう。
ぽんすけは、「世間一般論」に反することをしようとすると、「決断」することができなくなっていました。
自分で自分の人生を「決断」することに、
漠然とした強い恐怖を覚えるようになっていたのです。
でも、これは、ぽんすけにとって大きな気づきでした。
今の研究者の仕事で、体も心も壊して、命の危機に瀕したのです。
どう考えても、ぽんすけは、この仕事を続けていくことはできません。
なら、この「決断する恐怖」を克服すれば、
もっと気分を楽にして、「迷い」続けることもなく、
自分の仕事を決められるのではないかと考えました。
仕事を辞めると決断する32歳「決断する恐怖をちょっぴり克服する」
「決断する恐怖」を克服しよう!と思ったぽんすけ。
とりあえず、なんでもかんでも自分で決断する練習をすることにしてみました。
まずは小さなステップとして、旦那や子供とのコミュニケーションから変えてみます。
たとえば、
今まで晩御飯を決めるときは「今日、何食べたい?」と旦那や子供に聞いていました。
しかし、決断する練習として「今日は、カレーにしたいのだけど、どう?」と聞くようにしてみました。
漠然と相手に決めてもらっていたことを、自分の中で答えを決めてから相手に提案する形に、コミュニケーションの仕方を変えてみたのです。
決断することが苦手なぽんすけは、最初は戸惑っていましたが、
何度も繰り返すとだんだん慣れていきました。
次のステップで、「認知行動療法」という心理療法を取り扱う、専門の医療機関に通ってみました。
医療機関に通うと決断すること自体に、結構な勇気が必要でした。
しかし、通ってみて、想像以上に自分の「決断する恐怖」をほぐすことができました。
おかげで、自分の「決断」に少しずつ自信を持つことができました。
とにかく、自分で「決断」して、行動してみる。
それを何度も何度も、意識して繰り返していくうちに、
次第に「決断する恐怖」が薄らいでいくのを感じました。
そうして、ぽんすけは、「研究者を辞める!」と決断することができたのです。
自由研究ラボの誕生「自由研究を教える教室を作りたい!」
「研究者を辞める!」と決断したぽんすけ。
サイエンス・コミュニケーターの仕事をやってみたいと思いますが、
そこで、はたと気づきます。
「サイエンス・コミュニケーターって、具体的にどんな仕事だろう?」
ぽんすけが「好きだな」「やりたい!」と思っているのは、「科学や研究の話を通じて、相手と楽しくお話をする」ことです。
でも、「誰かと楽しくお話しをする」だけが仕事になるとは思えません。
そこでぽんすけは、
自分が「やりたい!」と思えて、
なおかつ、他の人に貢献できるような「夢」や「思い」ってないかなーと妄想します。
そしたら、ぽんすけの中にはこんな「思い」があることがわかりました。
・「研究や探求って、難しくない、楽しいんだよ!といろいろな人に伝えたい」
・「研究者にお金に困らないで研究してほしい」
・「研究に深く携わってきた人に、そのスキルを活かした雇用を作り出したい」
・「研究者と研究者になりたいこどもたちをつなぎたい」
そんな「思い」を旦那に語ってみたところ、旦那はこんなことを言いました。
「自由研究を教える仕事とか、いいんじゃない?」
「学生も、学校の先生も自由研究の扱いに困ってる。」
「あなたがやりたいことにつながるかもよ」
目からうろこ!
こうして、ぽんすけは思うのです。
「自由研究」を教える教室を作りたい!
しかし、果たして、その「自由研究を教える教室」には、仕事にするだけの価値はあるのでしょうか?
まだ、誰もやったことがありません。
誰もその価値を「知らない」でしょう。
ぽんすけにも、価値があるのかわかりません。
ならば、まずは、
自由研究にどんな価値があるかを、自分で体験してみよう!
そんな気持ちを持って始めたのが、このブログ「自由研究ラボ」です。
ブログを始めた当初は手探りでやっていた自由研究。
迷いながらも、楽しければいいや、と思っていた自由研究。
でも、息子と一緒に自由研究をしてみて、
息子の成長に、自由研究が寄り添っているのを間近で見てきました。
今では、ブログを通して、「自由研究には仕事にするだけの価値がある!」と確信するようになりました。
このブログを続けていって、もっと自由研究の価値を明らかにしていこう!
そして、その経験をもとに、起業して「自由研究」の教室を開こう!
そう、決断することができました。
おわりに「まだ誰も知らない価値を夢見て」
さて、そんなおっきな夢を語るぽんすけは、臨月妊婦です。
きっと、おっきな夢を持ちながら、子供を育てていくことに、
何度も何度も、迷うのでしょう。
でも、
多分、
ううん、絶対、
これからのわたしは、「決断」を「迷う」ことはないでしょう。
横に眠る息子のほっぺをつんつんしつつ、
お腹の中の赤ちゃんの見事なまでの蹴りに、「オエッ」っとなりながら、
まだ誰も知らない価値を夢見る、午前2時。
おあとがよろしいようで。